常磐音楽舞踊学院での日々は瞬く間に過ぎていった。
一期生たちは夏にマスターした3曲の踊りを海岸や夏祭りで披露した。
秋には東京、あちこちにある常磐炭砿の会館などで踊り、舞台度胸をつけていった。
締めくくりは12月初め、東京・大手町のサンケイホール。
昼夜2回の公演は2千人の客席がたちまち満員になり、補助椅子を出すほどだった。
そして昭和41年1月15日、常磐ハワイアンセンターがオープンした。
恵美子さんはステージのそでからこわごわ、観客席を覗いてみた。
隣の大プールにこぼれ落ちそうなほど大勢のお客さんがステージ前に集まり、人の波がうねっていた。
恵美子さんは体中の熱が一度に上がったような気持ちになった。
ステージでの初めての踊りはあまり覚えていない。
一期生18人、1人も欠けることなくステージに立てた。
踊りを見る真剣な眼差し、涙を流して見ている人の姿などは、いまも鮮明に思い出される。
翌日から、恵美子さんたちはさらに忙しく日々を過ごした。
お客さんが集まると踊りのショーをするやり方だったから、1日中ステージに縛られた。

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