その年の東京本社での忘年会だった。
余興をする人がいないため、恵美子さんが華やかな衣装を借りて、
ラテン系の踊りを披露した。
それを中村さんが見ていた。
「あの子、いいんじゃないか」。
間もなく、恵美子さんは人事課に呼ばれた。
「だれか結婚を約束した人はいるの?」
などと尋ねられ
「常磐ハワイアンセンターでダンスを踊ってほしい。香取先生も恵美ちゃんを薦めている」
と言われた。
東京でのOL生活は楽しかった。
香取先生のレッスンに通ってはいたが、日々の遊びの方が忙しかった。
このまま普通 に事務の仕事を続けていくか、それとも好きな踊りで少し彩りのある人生を歩んでみるか。
「やってみないとわからない」。
2、3年ぐらいなら、と軽い気持ちで決めた。
当時、ハワイアンブームだった。
会社の近くにもハワイアンバンド演奏の店があり、仕事の帰りに寄っていた。
でも自分がハワイアンダンスを踊るなんて、それまで夢にも思わなかった。
翌年4月、常磐市上浅貝の保養所に全寮制の常磐音楽舞踊学院が開校した。
目の前にズリ山がそびえていた。
一期生は18人。平均年齢17歳で、ほとんどが踊りの経験のない娘たちだった。
開校式で、学院長でもあった中村さんは「ハワイアンセンターの将来は、
学院のみなさんの努力にかかっているとも言えます。
常磐の宝塚を築き上げる心意気で訓練に励んでください」
とあいさつした。
恵美子さんは踊り人生のスタートラインに立った。

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