「東京に出て、香取先生のもとで本格的に踊りを学びたい」。
昭和36年、ダンスクラブの締めくくりの県高校総体を終え、
恵美子さんは卒業後の進路を考えていた。
踊りを続けるにはどうしたらいいか。
それが目下の悩みだった。
香取先生の内弟子も考えたが、
先生の自宅に弟子が寝泊まりできるスペースはなく、難しかった。
東京で就職する、そして踊りのレッスンを続ける。
浮かんだのは常磐炭砿本社だった。
幼いころから父に連れられ、行き慣れていた炭砿事務所を訪ね
「わたしでも常磐炭砿の本社に勤められないかしら」
と、総務の人に相談した。
本社の女性社員はほとんどが東京での採用だったが
「たまにはヤマの人もいいか」
と就職話は進み、入社試験を受けることになった。
そして合格、次は住む家探しだった。
ところが、ちょうど父の武市さんに、
常磐炭砿が小金井市に持っていた学生寮の舎監への異動があり、
家族全員で東京に移り住むことになった。
すべて、副社長の中村豊さんのはからいだった。

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