小野恵美子さんは炭鉱景気に沸く、内郷宮町の炭砿住宅で育った。
父の佐市さんは常磐炭砿の労務、人事担当の社員だった。
多趣味で遊び心があり、人生を楽しむ達人。
恵美子さんはその父に似たのだろう。
小さな子どものころから踊ることが大好きで、音楽が聞こえてくると、リズムに合わせて自然に体が動いた。
小学2年生の時、内郷と湯本にバレエ教室ができた。
当時、常磐炭砿の常務だった中村豊さんが
「地域の子どもたちの情操教育のために」
と考え、中村さんの部下だった佐市さんが準備にかかわった。
バレエの先生は、中村さんを「おじさま」と慕い、東京で舞踊スタジオを開いていた香取希代子さん。
恵美子さんは5歳下の妹の富美子さんとバレエを習い始めた。
バレエ教室を開く12年ほど前の、第二次大戦中、
夫とともに戦地慰問をしていた香取さんは、広東で懐かしい言葉を聞いた。
聞けば、その隊員はいわき出身だという。
それに近くの部隊には、常磐炭砿の社宅で暮らしていた人もいるらしかった。
香取さんはとにかく会ってみたくて、その部隊を訪ねた。
兵舎の2階から降りてきた男性は、南支派遣軍の将校として駐留していた中村のおじさまだった。
驚いた顔をして香取さんの顔を見つめる中村さん。
胸がいっぱいの香取さんは「おじさま」と言ったきり言葉が出ず、ぽろぽろ涙を流した。
異国の地で、思いがけない再会だった。
香取さんが踊りの道を志してから、中村さんはずっと陰になり日向になり応援してきた。
終戦から2年後、東京で舞踊スタジオを開いた香取さんにバレエ教室の先生を依頼したのも
「なかなかお金が大変だろうから、足しになれば」
という、中村さんの思いからだった。

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