引退する前年の新緑のころだった。恵美子さんは香取さんから食事に誘われた。
「従兄弟と食事をするんだけど、だれかダンサーを一緒に招待したいと言うの。
恵美ちゃんなら独身で暇でしょう」。
香取さんの従兄弟は足が悪く、車の運転をしてきたのが小野英人さんだった。
小野さんは市議選に立候補して落選し、不動産の仕事をしていた。
「この人は恵美子さん、踊りをやっているのよ」。
香取さんは紹介した。小野さんはハワイアンセンターのステージを見たことがなく、華やかな人だなと思った。
そして「ダンサーの人を見るのは初めて」と言った。
恵美子さんは穏やかで、のんびりした人だなと思った。
そのころ恵美子さんは一度、立ち止まりたいと考えていた。
「いつまでもハワイアンセンターのステージで踊っているわけにはいかない」。
結婚を機に生活を変えたかった。
3歳年上の小野さんは8月の誕生日までに結婚相手を決める、と自分に課していた。
こうして恵美子さんと小野さんはつきあうようになり、香取さんたちを驚かせた。
2人のドライブデートは時々、中断した。小野さんは睡眠時無呼吸症候群で熟睡できず、昼間、眠くなる。
車を運転中に眠くなると途中で止め、しばらく仮眠をとった。
その間、恵美子さは助手席でじっと待っているしかなかった。
ある日、小野さんは恵美子さんにプロポーズをした。
2人の結婚が決まった時、香取さんは小野さんに言った。
「結婚しても、恵美ちゃんに踊りは続けさせてあげてね。
恵美ちゃんのスタジオを出してほしいし、音楽舞踊学院にも助教授として残ってもらいたい」。
小野さんは香取さんの願いを承知した。

しかし中村豊さんは「結婚してからは家庭が大事」と、
恵美子さんが指導者として音楽舞踊学院に残ることに賛成しなかった。
引退して間もない4月4日、結婚式が行われた。
披露宴で中村さんは「掌中の玉を取られた思い」と祝辞を述べた。
その年の12月、恵美子さんは平と植田にレッスン場を借りて、
「エミ・バレエスクール」を開いた。スクールの名前をつけてくれたのは香取さんだった。

縁は異なもの