昭和51年3月30日、恵美子さんは常磐ハワイアンセンター娯楽館にある
フラメンコ喫茶「エスパナ」の最後のステージに立った。
1曲踊り終えた後、常磐音楽舞踊学院の後輩が言った。
「私たちのリーダーであります豊田恵美子さんが明日、結婚のため引退することになりました。
ここで香取先生から花束の贈呈があります。
お受け取りくださいませ」
恵美子さんは花束を受け取って香取先生と抱き合い、
後輩と2人で再び踊り、腰に巻いたショールをほどいて後輩の首にかけ、ステージのそでに入った。
そして、お別れにもう1曲。香取先生と2人、カスタネットを手に踊った。
ハワイアンセンターのオープンから10年が過ぎ、恵美子さんは32歳になっていた。
周りを見回すと、いつの間にか一期生は恵美子さんだけになっていた。
ほとんどが結婚を機にステージを去った。
そのなかで恵美子さんは助教授の肩書きをつけながら、現役で踊り続けていた。
よく人から理想の男性や結婚について尋ねられた。
でも踊りを知れば知るほど、その世界にのめり込んでいった。
「踊りへの執念と怨念みたいなものが私のなかに宿っている限り、結婚は遠い存在かもしれない」。
そう思っていた。
それでも、どうにか様になってきた後輩たちに「結婚するので辞めます」などとあっさり言われると、一瞬がく然として素直に「おめでとう」の言葉が出なかった。「もったいない」という気持ちと、
さらりと女の幸せに飛び込めることへの反発と嫉妬が、恵美子さんのこころを締めつけた。

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