石炭から石油へのエネルギー革命で、常磐炭砿もかげりが見え始め、新事業を模索していた。
恵美子さんが東京本社で働き始めた昭和37年の暮れには2000人の人員整理案が示され、
常磐炭砿女子野球団「コールシスターズ」も解団した。
そんな時代に中村さんが思いついたのは、
坑内から湧き出る温泉を利用したレジャーランド構想だった。
アメリカでレジャー施設を視察した帰り、中村さんはハワイに立ち寄った。
飛行機から一歩出た瞬間の暖かな心地よさ、素朴で情熱的なトエレ(打楽器)の音は日本の祭太鼓の音と重なった。
「日本のハワイをつくって、フラダンスやポリネシアンダンスを見せよう」。
中村さんの頭に浮かんだ。温泉を利用した巨大な温室に熱帯植物を植え、温泉プールを造り、ショーを上演する。
具体的なイメージができあがった。
その日本のハワイで働く人たちは、もちろん炭砿の社員と家族たち。
それでこそ、一山一家の炭砿精神が受け継がれる。
中村さんは香取さんにダンスを踊る娘たちの教育を相談した。
「やるなら学校をつくってほしい。基礎からちゃんと教えたい」。
香取さんは言った。
ダンスを踊る娘たちの募集が始まった。
対象は内郷市と常磐市の中学卒業生。
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