忙しいながら充実した毎日だったが、慣れてくると徐々に恵美子さんは、
漠然とした苛立ちを感じるようになっていた。
日本舞踊などと違い、フラダンスやフラメンコはレパートリーが限られているように思えた。
毎日毎日、同じ場所で踊り続けている自分に
「なにこれは、ただ足踏みをしているだけじゃない」
などと自問自答した。
「あのショーはまねにすぎない。本物じゃない」
の酷評は腹立たしく、しかしとても気になった。
見ているお客さんの心に届き、
踊っている自分の心にも通じるような踊りを踊りたいという思いが、
恵美子さんのなかで少しずつ大きくなっていった。
オープンから1年半後、恵美子さんは
カレイナニ早川(早川和子)さんとハワイ、タヒチを訪ねた。
タヒチの娘たちの踊りを見ながら自分の体を動かし、
動きの本質を体得しようとしたが、娘たちのように自由自在な感じは出せなかった。
踊りを見て理屈でわかったことが、体で表現できない。
恵美子さんは夢中で娘たちの動きに合わせて踊り続けた。
そのうち疲れてきて体の力が少し抜けたようになると、
すっと全身が軽くなり、イメージ通りに動けた。
瞬間、恵美子さんは自分の体を使って表現する、踊り芸術の本質にふれた。
わが身を使って何度も試み、
体から体への技術・文化の伝わり方があることを体験し、
タヒチアンダンスは体を使った
「もう1つの言葉」
で語りかけることを実感した。
帰国後、恵美子さんは早川さんと香取さんとステージの進め方を何度も話し合い、
仲間や後輩に現地で学んだことを伝えた。しかし恵美子さんの目標はもうその先にあった。
ステージと観客の一体感、踊りを介して観客と気持ちを通じ合いたかった。

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