2009年のお正月、恵美子さんは自宅近くの神社に初詣に出かけ、
「公演が無事、うまくいきますように」と祈った。
頭は常に、4月の舞踊ひとすじ45周年記念公演のことでいっぱいだった。
常磐音楽舞踊学院でのレッスン風景、
常磐ハワイアンセンターに訪ねて来たスペイン人のことなど、
香取さんとのいろいろな思い出が浮かんでいた。
暮れに初めて、ギタリストの住田政男さんやダンサーの山本将光さん、
カンテの川島桂子さんたちと平南白土の稽古場で、大まかに公演の流れを追った。
心が知れたメンバーだが、それぞれがまだ内容をつかみきれず、台本を含めてつくり込みが始められた。
すべてはこれからだった。
それなのに、11月末に階段で転んで骨折した恵美子さんの左手首は、まだギブスをしたまま。
左手をかばっての右手だけの踊りでは調子が出ず、気持ちだけがあせった。
「これでいいのだろうか」
と考えるのだが、切羽詰まらないと決まらないのが恵美子流でもあった。
住田さんは20歳の時に10カ月ほどの予定で、スペインへフラメンコギターの武者修行に出かけた。
スペインに滞在して5カ月ほどが経ったころ、ギターを持ってマドリードを歩いていて、小柄な日本人女性とすれ違った。
通り過ぎようとした時、女性は住田さんに声をかけた。
「ギターを勉強しているの? 知り合いの子供の教室で踊りのギターを弾く人がいないの。
ちょっと行ってみない?」。
その女性が香取さんだった。
香取さんはスペイン政府の招きで、2度目の留学中だった。
いろいろな先生に就いてフラメンコを学ぶとともに、ギターも習っていた。
最初の留学後、シギリージャ(フラメンコの曲の1つ)
の音のとり方で何人かのギタリストとけんかしたことがあり、
自らギターを勉強して納得のいく説明ができるようになりたかった。

祈り