昭和四十年の春でした。
福島駅から上り列車に乗りました。
面接の時に一度行っているから、1人でも不安はありませんでした。
うしろにそびえ立つズリ山は少し寂しくて、
山のなかの常磐音楽舞踊学院は思い描いているのと違いましたが、
踊りの勉強ができることがうれしかったです。
小学6年生でふと将来を考えた時に、
「踊り子になりたい」
という思いが自然にわいてきて、
ひそかに宝塚歌劇団やSKDに入ることを目標にしてきました。
福島女子高校の2年生の早春に新聞で
「常磐音楽舞踊学院の1期生募集」
の記事を見つけ、直感で
「これだ」と思いました。
しかし印刷業を営む父は
「踊り子なんてとんでもない」と大反対。
しょぼくれるわたしに母は
「お父さんを説得するのは無理だけど、わたしは応援する」と励ましてくれました。
担任の先生には「せっかく福女に入ったのだから、あと一年頑張って卒業してからにしたら」と、言われました。
でも1期生じゃないと、わたしには意味がありませんでした。
まっさらで、すべて自分たちでつくり上げていきたかったし、
踊りの世界で生きていくのなら、いろいろ経験した方がいいと思いました。
最後には、父はわたしの踊りへの思いに根負けしました。
「あんたには負けた。どうせやるなら雑魚にはなるなよ」。
そう言って送り出してくれました。

制服と黒鞄の励まし