香取さんはいわき生まれ、育ち。
父親は入山採炭の建築技師で、のちに常磐ハワイアンセンターの社長になった
中村豊さんが入山採炭に入社した時には、すでに管理職だったという。
そのころ磐城高等女学校の生徒だった香取さんは、中村さんにかわいがられた。
幼いころから踊りが大好きで、小学生の時には父親の集まりの会でボール紙の鎧兜を着て踊り、評判になった。
磐城高女時代は「体操とダンスが得意」と周りから言われた。
卒業目前のある日、母親の婦人雑誌をめくっていて、
留学を終えて帰国した舞踊家の高田せい子さんの記事を読み、踊りの虜になった。
進学を理由に東京に出て、初めは和洋専門学校に通いながら、
そこを卒業すると文化服装学院で学びながら、家族には秘密にして舞踊研究所に通った。
学院の卒業間近に、両親に踊りのことがばれて、いわきに連れ戻された。
それでも、諦めない。
香取さんは風呂敷包みを一つ抱え、家出した。
そして、松竹少女楽劇部(のちのSKD)に入り、
バレエ、ジャズ、モダン、タップ、日本舞踊、世界の民族舞踊などを踊った。

もう一人のまどか先生2