それぞれに厳しい先生たちだった。
叱られて泣いたこともあった。
オープンした常磐ハワイアンセンターは炭砿の雰囲気そのままだった。
「そうだっぺ」
などの言葉が飛び交い、お客さんに「怖い」と言われたりした。
一山一家の精神も受け継がれていた。
無我夢中でステージに上がり、言われるままに踊った。
練習をしたはずなのにひどい化粧で、みんなで顔を見合わせて笑った。
初めは恥ずかしくてへそを出すこともできなかったが、徐々にみのは下げていった。
みのを下げると、きれいに踊れた。
大ホールでフラメンコを踊り、
それから歌手の後ろでダイアモンドシスターズの1人として歌を歌い、
ビーチに出てフラダンスを踊った。毎日、毎日、ステージに立って踊り、
1年ほどしてやっとステージからお客さんの顔が見られるようになった。
踊り子になって2年後、結婚を機にステージを降りた。
相手は元炭坑夫で、ツルハシをギターに持ち替えて、
ハワイアンセンターのジャズバンドでギターを弾いていた。
炭坑夫時代は趣味で、平のまちのキャバレーで演奏した。
その後、子育てが一段落した20年前からハワイアンズに再び勤め、仲居の仕事をしている。
寮生活をしていたあのころを振り返ると、泣いて、笑って、喜んで、青春の時だったと思う。

映画「フラガール」はまだ見ていない。一斉公開を楽しみにしている。

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