福島県いわき市の観光施設、スパリゾートハワイアンズの「フラガール」が今年、誕生から50年目を迎えた。
かつての常磐炭田の繁栄から衰退した町を再生させるため、炭鉱マンの娘たちで結成。
東日本大震災と原発事故の後も、連日多くの観光客が訪れる。
「ふるさとを支えるのは私たち」。復興を引っ張るフラガールの「50周年記念公演」が9日、東京都内で行われる。
6月の平日の夜8時半、「グランドポリネシアンショー」が始まった。ステージに約25人のフラガールが登場すると、
満員の客席から大きな歓声と拍手。
岐阜県から友人7人と来た主婦、古里康子さん(70)は「初めて見て、すごい迫力」と笑顔を見せた。

プールや温泉がある施設は1966年1月に「常磐ハワイアンセンター」として開業した。
石炭から石油へと、日本のエネルギー構造が転換した時期。石炭掘削の妨げになっていた温泉を逆に利用し「東北にハワイを」とうたった。

フラガールを養成する「常磐音楽舞踊学院」は前年の65年に設立され、1期生18人が入学。今年入った6人が50期生だ。

設立直後、メンバーは宣伝のため全国を巡回。「『裸踊り』とからかわれたが、必死な姿に応援してくれる人が増えていった」。
学院の最高顧問、カレイナニ早川(本名・早川和子)さん(82)が振り返る。

フラガールは震災後も「全国きずなキャラバン」として避難所など125カ所を回った。

現リーダーのモアナ梨江(本名・大森梨江)さんは、東京電力福島第1原子力発電所がある双葉町の出身。
自身は寮生活を送り、家族はいわき市に避難している。
双葉町民が避難した埼玉県加須市の旧騎西高校を訪問した際、近所だった人に名前を呼ばれ涙が出た。
「とにかく前に進みたかった。私もみんなも生きるのに精いっぱいだった」と話す。

開業時は、フラガールの父母らも裏方など総出で働いた。ヤマ全体が家族のようなつながりで「一山一家」と呼ばれた炭鉱。
運営会社「常磐興産」の斎藤一彦会長(69)は「試練の連続だったが、危険と隣り合わせだった炭鉱の絆が受け継がれてきた」と、
苦難から立ち上がってきた強さを説明した。

記念公演は9日午後6時半から、東京都千代田区の東京国際フォーラムで。

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