昭和40年4月だった。
常磐湯本町上浅貝の保養所に全寮制の常磐音楽舞踊学院が誕生した。
常磐ハワイアンセンターのダンスショーで踊る娘たちの学校。
そばにズリ山がそびえていた。
いろんな娘たちがいた。
常磐炭砿の東京本社に勤めながら踊りのレッスンを受けていた娘、
バスガイドをしていた娘、炭鉱で生まれ育った双子の姉妹、
福島女子高を中退した娘…。
2期生の秋田出身の娘は、ハワイアン歌手のジエノア・ケノベの歌に魅了されて、
ダンスの世界に入った。
親に勘当され、「一人前になるまで家には帰れない」と、自分を奮い立たせ練習した。
午前4時。カタカタ、カタカタという音で目が覚める。
床に毛布を敷いて、音が出ないようにしながらフラメンコの練習をしている姿があった。

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