「温泉レジャー施設」の売り物として考えられたのは暖かさを象徴するもの
「熱帯樹とフラダンス」、そしてハワイの雰囲気でした。
炭砿跡地に日本で初めてのテーマパーク・日本のハワイ
「常磐ハワイアンセンター」を開業する、周囲の度肝を抜く大胆な発想でした。
エンタテインメントとして考えられたが、ハワイの伝統の踊り「フラダンス」。
更には「ポリネシア」の島々の民族舞踊でした。
そのため創業を1年前に控えた昭和40年4月、
日本初のフラダンス、ポリネシアン民族舞踊の学校
『常磐音楽舞踊学院』を設立(昭和43年12月に福島県知事認可の各種学校となる)。
一期生18名がエンタテイナー育成のために集められました。
「炭砿人の血を受け継いで、炭砿の空気の中で
育ってきた人が踊ることによって、この目的が達せられる」
「松竹や宝塚のショーを真似ようと思うな。
少女歌劇やレビューを見たい人は東京か神戸に行けばいい。
ハワイアンセンターは、ここでしか見られないショーを上演する。」
この精神に基づいて集められた「一期生」は全員が炭砿関係者の子女、
そしてほとんどが踊りの経験すらない素人。
多感であった彼女たちは「腰振りダンス!」
「ヘソを出して踊るなんて!」という周囲からの
冷ややかな視線を浴びながらも、必死に民族舞踊の習得に取り組みました。

常磐女学院3