ハワイアンホーストマカデミアナッツチョコレートができるまで

創業者マモル・タキタニがみつけたもの

ある日曜の昼下がり、書斎でマカデミアナッツを食べながら読書をしていたマモルの口に、
姪のカレンが『ネスレチョコレート』の板チョコの破片を放り込みました。
そのままチョコレートをナッツと一緒に噛んだところ、
今までに経験した事のない何とも言えないおいしさに驚き、
その事を家族に話しました。
このマカデミアナッツとチョコレートを一緒に食すという新しいナッツの食べ方は、
マウイ島のタキタニ一族とその友人の間に瞬く間に広がりました。

いつも新しいアイデアに挑戦してきた彼は、この偶然から生まれた経験を商品化出来ないものかと日夜自宅で密かに研究を始めました。幾日にも及ぶ試行錯誤の結果、商品化の目途がついたので愛妻アイコをマウイ島に残し、単身ホノルルへと移住しました。

ホノルルで工場を立ち上げるべく東奔西走していたマモルは、
自分のアイデアとは多少違うものの”マカデミアナッツ入りチョコレート”をすでに販売している
『エレン・ダイ・キャンディーズ』を知り、これを買い取り社名を『ハワイアンホースト』としました。
こうして日系三世のマモル・タキタニは幼いころからの夢だった、
“チョコレートメーカ―”としてマウイ島のタキタニ財閥から独立して、
若い実業家としての第一歩を踏み出しました。

しかしマモルの思惑とは違い、彼のマカデミアナッツチョコレートは最初から思うようには売れず苦労を重ねることになりました。

そこで彼は『マカデミアナッツ特有の”味”と”食感”を生かすチョコレートを作れないか』
と思い、このきっかけとなったアメリカ本土にある
『ネスレチョコレート』に掛け合い不可能に近い相談を持ちかけました。
それまでの少々しつこいくらいに甘いチョコレートと違った
『ハワイのイメージを感じる、オリジナルチョコレートを作りたい』
という想いは、最初から巨大メーカーには相手にされませんでした。

しかしわざわざハワイから長時間飛行機に乗って何度も陳情にくる熱意に負けたネスレは、
彼の将来性を見込み全面協力を約束して一人の専任技術者を派遣させました。

この技術者との二人三脚で、試行錯誤を繰り返し五年の歳月を掛けてマモルの目指すところとした

1.甘さを抑えたチョコレートで尚且つお菓子のような食感
2.マカデミアナッツ独特の味を最大限に生かす
3.常夏のワイキキを持ち歩いても溶けにくい
4.食べる人全てをとろけさせるチョコレートの魅力を備え持つ
という理想のチョコレートを完成させました。

これは50年たった今でも引き継がれている独自の秘伝レシピなのです。
ハワイアンホーストのマカデミアナッツチョコレートは、
その独特の味でローカルはもとよりアメリカ本土や日本から来る観光客に絶大な人気を誇るようになりました。
やがてハワイアンホースト以外に何社もこの業界に参入し、
今やマカデミアナッツチョコレートは観光業に続くハワイの基幹産業として発展しました。
今もなお『美味しいハワイのマカデミアナッツチョコレート』を作りたいという、
マモルの意思は引き継がれて、これからもハワイの町でずっと変わらないマカデミアナツチョコレートが作り続けられます。

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